女性の夢を手帳で叶える森淑子

手帳を活用して女性の夢を叶える手帳案内人・森淑子

昨日の記事の続き・・・親からの連鎖を断つ

http://ma-de-na.hatenablog.com/entry/2016/03/28/記憶にあることが全てじゃない

昨日こんな記事を書きました。↑

自分の記憶にあることが自分の生育歴の全てではない。

全てではないけれど、大きな影響を及ぼしていることもまた事実。



自分の覚えていたいことは覚えていて、

都合の悪いことは忘れているのかもしれない。



親からの連鎖

私の実家はなかなか人間関係が難しい

心理的には機能不全な環境でした。

勝気な性格の祖母に、放蕩息子がそのまま大人になった婿養子の父が強烈で

極端に無口な祖父に、ずっと働き詰めの母から愚痴を聞かされて育ってきました。

浮気したり、家にお金入れない、土日は家にいない父の尻拭いで

母は母なりに必死に子育てしていたと思いますが、

祖父母と過ごす時間のほうが長かった。

叩かれたりもしたけれど、

具合悪くて看病してくれた記憶にあるのは祖母

いじめがひどい時期に学校の先生に怒って電話していたのも祖母

弟たちが生まれて、祖父母と一緒に寝ていたから余計なのか、

毎日両親か誰かの口げんかが当たり前で

家の外では、鈍臭いくせに正義感だけは強くていじめられてばかりだった私は

ずっと寂しさを抱えて育った気がします。



思春期、中学時代には学校は荒れて、いじめもあり、

一時期、私は学校へ行きづらいくて、自傷していたこともありました。





しんどい育ち方、と、自分で思っているけれど、

父とは全然違う性格の夫と結婚し

私が20代後半で長男を出産。

保育園へ通わせながら、

鬱病になってしまった時期もあって、

夫に支えられながら

必死になって育ててきました。

まあね、今思えば必死過ぎでした。



自分の育て方を振り返れば、

全然手が抜けず、逆にどれも何も達成感がなく、

自己肯定感が低いままに

それを子どもにも押し付けてしまった気がします。

長男が不登校になった時には、自分を責めることしかできなかった。




私が中学生で自傷していたとき

私の母は完全に傷をスルーして見て見ぬふりでした。

父は私の傷を見て、病院へ連れて行きました。

母にスルーされたことは、ショックで、ずっと根に持ってしまっていたけれど

逆にその体験があったから、

いくら生活に必死だとしても、

傷付いている子どもをいたわれなくなったら、

子どもは更に傷付くことを私は知っています。






母は勝気な祖母に支配されて、結婚相手も自分で選べず、

傷付いた心は子どもへ愚痴をこぼすぐらいしかできず、

それが当たり前の生活で生きてきました。





ですが、こんな連鎖は断ち切るし、断ち切れる。





自分で自分の生き方を変えていいし、選んでいい。

女性だから、子どもがいるから、学歴がないから、生活があるから・・・

どれもこれも言い訳であって、

自分で自分の人生を生きて、

家族や身近な人と幸せに暮らすことはできるはず。




育てられ方は人格形成に大きく影響を及ぼすけれど、

それをそのまま引きずらなくていい。

いっそ過去は糧にして、生きることはできる。

大人になるって、そういうこと。

自分で自分を育てればいいだけ。




そんなふうに今私は思っています。